職員のページ~談話室
このページは、
職員の魅力を伝えたいという想いで作成しました。
博水の郷 医務課
2021-09-16
みなさまこんにちは。医務課の腰塚です。
以前旅行したオススメを紹介します。それは、小笠原です。(父島、母島どちらも行きました)海が透明で魚が沢山いるので、魚に夢中になると、帰れるのかな?と不安になる位に浜から遠のいてしまいます。
ぜひオススメなのが戦跡ツアーです。父島のジャングルの中には砲台やトーチカなどが残っていて、当時の日本兵の視点を追体験出来ます。ガイドさんの説明もとても為になり、父島に行った際はぜひ参加して欲しいです!
丸1日船に乗らないと行けない小笠原ですが、船酔いに耐える価値はあるので、皆様もどうぞ。
以前旅行したオススメを紹介します。それは、小笠原です。(父島、母島どちらも行きました)海が透明で魚が沢山いるので、魚に夢中になると、帰れるのかな?と不安になる位に浜から遠のいてしまいます。
ぜひオススメなのが戦跡ツアーです。父島のジャングルの中には砲台やトーチカなどが残っていて、当時の日本兵の視点を追体験出来ます。ガイドさんの説明もとても為になり、父島に行った際はぜひ参加して欲しいです!
丸1日船に乗らないと行けない小笠原ですが、船酔いに耐える価値はあるので、皆様もどうぞ。
博水の郷 さくらひまわりユニット
2021-09-01
みなさんこんにちは!こんばんわ!さくら・ひまわりユニットの児玉です!
6月にもも・たんぽぽから異動して来ました!
前回は私の趣味について書かせていただいたので今回も趣味について書かせていただきたいと思っています。
私は生き物全般が好きなのですがそのなかでもカブトムシ・クワガタを子どもの頃から飼っています。
今はカブトムシ4種類・クワガタ4種類と幼虫たちに囲まれて虫ライフを過ごしています!
ではまたの機会に!
今はカブトムシ4種類・クワガタ4種類と幼虫たちに囲まれて虫ライフを過ごしています!
ではまたの機会に!
玉川福祉作業所
2021-08-31
玉川福祉作業所等々力分場支援員の渋谷と申します。
今回は、私のお気に入りの散歩コースのひとつを紹介したいと思います。烏山川緑道です。烏山川緑道は世田谷区千歳台にある千歳温水プールあたりから、三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いている全長7キロほどの緑道です。緑道に沿って太子堂円泉寺・松陰神社・世田谷城址公園・豪徳寺など、史跡が多く見られます。世田谷区の歴史や、街並みを知ることができる緑道です。
烏山川緑道はかつての河川の流れをそのまま活かして緑道にしているため、蛇行したり、分岐したりと変化にとんでおり、途中にはかつて烏山川に架かっていた橋の跡をいくつも見つけることができます。
また、地域住民の協力で、道端にはさまざまな植物が植えこまれているため、春には桜、梅雨の時期には紫陽花、夏には新緑、秋には紅葉など、四季折々の変化を楽しみながら歩くことができます。
酷暑が続いているこの時期は厳しいかもしれませんが、涼しい季節になったら一度散歩してみて頂きたいお勧めの場所です
今回は、私のお気に入りの散歩コースのひとつを紹介したいと思います。烏山川緑道です。烏山川緑道は世田谷区千歳台にある千歳温水プールあたりから、三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いている全長7キロほどの緑道です。緑道に沿って太子堂円泉寺・松陰神社・世田谷城址公園・豪徳寺など、史跡が多く見られます。世田谷区の歴史や、街並みを知ることができる緑道です。
烏山川緑道はかつての河川の流れをそのまま活かして緑道にしているため、蛇行したり、分岐したりと変化にとんでおり、途中にはかつて烏山川に架かっていた橋の跡をいくつも見つけることができます。
また、地域住民の協力で、道端にはさまざまな植物が植えこまれているため、春には桜、梅雨の時期には紫陽花、夏には新緑、秋には紅葉など、四季折々の変化を楽しみながら歩くことができます。
酷暑が続いているこの時期は厳しいかもしれませんが、涼しい季節になったら一度散歩してみて頂きたいお勧めの場所です
博水の郷 すみれさぎそうユニット
2021-08-21
皆さんこんにちは・こんばんは!
すみれさぎそうユニットの番本です。
今日は、ベトナムから技能実習生として勉強しに来ている、ブイ・ティ・キム・トウさんの
紹介をさせていただきます。
とても勉強熱心で、日本の慣れない環境にも負けず日々頑張っているトウさんに、今回は自己紹介の文章を書いてきてもらったので、この場を借りて紹介したいと思います。
以下、トウさんの文章です。
『みなさん、こんにちは!!!
初めまして、私の名前はブイ・ティ・キム・トウです。
今日は私のお母さんのことと、なぜ介護の仕事を選んだ理由を紹介したいです。
みなさんのお母さんはどんな人ですか?
私のお母さんは明るくてやさしくて、それにいつもいろいろなことを教えてくれました。
この前、私はお母さんへ手紙を出しました.
「ママお元気ですか、本当に会いたいです。日本でさみしいです。日本は賑やかなところです、でも日本には私の家族はいません。ここで毎日毎日頑張って仕事をして、日本語の勉強をしていますよ。ときどきお腹が空いて、ママの料理を食べたいと思います。
ママとパパ、いつも元気でね。私のこと心配しないで。早くうちに帰りますね。ママとパパ、もうすこし待っててくださいね♡」
私にとって、両親の健康は大切なことです。お母さんにはいつも元気をもらいます。
疲れたらお母さんに電話して話すだけで全部の疲れがすぐなくなります。
子供のころは厳格な母に育てられたので、お母さんが嫌いだと思っていました。
でも、大人になった時、母親がしていることは子供たちにいい人になってもらいたいということに気が付きました。だからお母さんのことが大好きです。
両親の健康は大切なことだと思います。それが、私が介護の仕事を選んだ理由です。
将来両親が年をとった時、自分でお世話をするようになります。
毎日、ここで働いているわけではなく、いろいろ日本の文化とか有名なところとかおいしい食べ物を教えてもらいました。ときどき疲れることもありますが、ご利用者様の笑顔を見るとお仕事が楽しくなります。
最後に、みなさんはなぜ介護の仕事を選びますか??
以上です♡』
掲載した写真はトウさんの手紙とお母様のお写真です。
ただでさえ自国から遠く離れた日本で勉強しながら生活していくのは本当に大変だと思います。
さらにこのコロナ過で、自由に外出することも難しいなか、トウさんは本当によく我慢して毎日仕事を頑張っています。
すみれ・さぎそうの職員も全力でトウさんの実習を応援していきます。
みなさんも是非温かく見守ってあげてください!!
すみれさぎそうユニットの番本です。
今日は、ベトナムから技能実習生として勉強しに来ている、ブイ・ティ・キム・トウさんの
紹介をさせていただきます。
とても勉強熱心で、日本の慣れない環境にも負けず日々頑張っているトウさんに、今回は自己紹介の文章を書いてきてもらったので、この場を借りて紹介したいと思います。
以下、トウさんの文章です。
『みなさん、こんにちは!!!
初めまして、私の名前はブイ・ティ・キム・トウです。
今日は私のお母さんのことと、なぜ介護の仕事を選んだ理由を紹介したいです。
みなさんのお母さんはどんな人ですか?
私のお母さんは明るくてやさしくて、それにいつもいろいろなことを教えてくれました。
この前、私はお母さんへ手紙を出しました.
「ママお元気ですか、本当に会いたいです。日本でさみしいです。日本は賑やかなところです、でも日本には私の家族はいません。ここで毎日毎日頑張って仕事をして、日本語の勉強をしていますよ。ときどきお腹が空いて、ママの料理を食べたいと思います。
ママとパパ、いつも元気でね。私のこと心配しないで。早くうちに帰りますね。ママとパパ、もうすこし待っててくださいね♡」
私にとって、両親の健康は大切なことです。お母さんにはいつも元気をもらいます。
疲れたらお母さんに電話して話すだけで全部の疲れがすぐなくなります。
子供のころは厳格な母に育てられたので、お母さんが嫌いだと思っていました。
でも、大人になった時、母親がしていることは子供たちにいい人になってもらいたいということに気が付きました。だからお母さんのことが大好きです。
両親の健康は大切なことだと思います。それが、私が介護の仕事を選んだ理由です。
将来両親が年をとった時、自分でお世話をするようになります。
毎日、ここで働いているわけではなく、いろいろ日本の文化とか有名なところとかおいしい食べ物を教えてもらいました。ときどき疲れることもありますが、ご利用者様の笑顔を見るとお仕事が楽しくなります。
最後に、みなさんはなぜ介護の仕事を選びますか??
以上です♡』
掲載した写真はトウさんの手紙とお母様のお写真です。
ただでさえ自国から遠く離れた日本で勉強しながら生活していくのは本当に大変だと思います。
さらにこのコロナ過で、自由に外出することも難しいなか、トウさんは本当によく我慢して毎日仕事を頑張っています。
すみれ・さぎそうの職員も全力でトウさんの実習を応援していきます。
みなさんも是非温かく見守ってあげてください!!
二子玉川あんしんすこやかセンター
2021-08-09
はじめまして。江夏 みず穂(コウカ ミズホ)と申します。
このたび、6月より入職し、二子玉川あんしんすこやかセンターに配属となりました。
鹿児島生れの父と、大阪生れの母がお見合いし、世田谷区喜多見に住むお仲人さんの媒酌で結婚。
1972年、長女の私が生まれてすぐ弦巻から引っ越したのが、玉川3丁目のアパートでした。
1969年にできたばかりの玉川高島屋や、駅の近くにあった遊園地(二子玉川園)、多摩川がお散歩コースでした。
弟が生まれ、母が赤ちゃんにかかりきりになり、目を離したすきに2歳の私がリュックを背負って一人で出掛けてしまい、慌てて探しに出たら、近くの八百屋さんが、心配して私に声を掛け引き留めてくれていた・・・ということもあったそうです。
よその土地から来て子育てをしていた両親にとって、子供が迷子にならないように見守ってくださる人たちがいるというのはとても心強く、過ごしやすい街だったのではないかと思います。
幼稚園に上がる前に横浜へ引っ越してしまったのですが、その後30余年経ち、私は実家を出て九品仏で一人暮らしを始めました。
もうすぐ18年になり、なじみのお店やご挨拶するお知り合いも少しずつ増えてきました。
九品仏から二子玉川までの「おもいはせの路」を歩くのも楽しい時間です。
今こうして幼い頃、私を見守って下さった玉川の地でお仕事をさせていただいているのは、本当にうれしいことです。
このご縁に心より感謝しております。
65歳以上の方々の相談窓口ではありますが、自分自身も含め、世田谷の玉川地域に暮らしている多世代の人々にとって暮らしやすい街になるよう、私の身の丈で出来ることから行動していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。